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    2016年08月28日

    ダイアログ・イン・ザ・ダーク@7歳10ヶ月

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    夏休み期間中は小学生500円だったので

    小2の長男とダイアログ・イン・ザ・ダークに行った。未就学児は入場できないので、次男はおるすばん。長男とふたりで出かけるのは久しぶりで、それだけでちょっとわくわくする。

    暗闇の中を8人組のグループで、視覚障碍のある方にアテンドしてもらいながら歩く90分間の体験。初めて白杖を持った。私たちは時間を間違えて(いつもそんなことばかりしている)、30分遅れで中に入った。同じグループのメンバーとの初対面が暗闇で、顔も年齢もわからない。他のメンバーはすでにすごく意気投合していて、テンションが高かった。途中からなじめるかな、と一瞬思った。

    暗闇では、歩いたり、座ったり、寝そべったり、飲んだり、食べたり、いろいろする。でも見えないから、すごく声をかけあって行動する。アテンドしてくれた方は、私たちが途中参加なことに気遣って、とりわけ息子にはよく声をかけてくれた。暗闇は最初はすごく不便だと思った。しかも、情報が減っただけでおもしろくないなと。

    でも、終わるころには全然違うことを思っていた。文字通り見知らぬ人なのに、お互い困ってることがありそうだと思うと、先回りして声をかけるのがだんだん普通になっていく。距離が近いのも、不快に感じない。視覚以外の感覚が自分には結構備わってるんだなあとも思った。息子は最初は私から離れなくて、私の気配が近くからなくなるとすぐ探してたけど、慣れてくると先導したり、それで感謝されたりするようになって、ひとりでも前を歩けるようになった。

    体験はものすごく短く感じた。遅刻して60分間しか体験していないけど、もっとずっと短く15分くらいしか経ってない気がした。周りが明るくなって他の人の姿が見えると、安心したというより、少し距離が遠くなったような気がした。少しさみしかった。顔が見えなくても、会話があれば不安はない。まわりに人がたくさんいても、何を考えてるかわからなかったらひたすら怖い。漠然と不安を感じるときに、どうしたらいいか、少しわかった気がする。

    かわいそうではない

    目が見えるようになったことを意識しながら電車に乗ると、私はふだん別に知りたくもないことを延々と目から取り入れてることが多いなあと思った。もっと目が喜ぶものを見たい。

    街の中で白い杖を持った人を見かけたら、大変そうだな、何か手伝えることはないかな、と思っていた。でも、実は私が思っているほど、そういう人たちは私が想像していたような、道を教えるとか手を引くとか、そういう助けは求めていないのかもしれない。視覚以外のことでわかることはたくさんあるし、そういう感覚を鋭く保っている人たちには豊かな世界があるのだと想像できた。暗闇の中でアテンドしてくれた視覚障碍者の方はとても頼もしかった。

    でも、まわりの人と会話できたら、安心だろうなとは思った。それは目の見えない人に限った話ではない。

    子どもと感想を語り合う

    帰り道、息子と感想を話しながら歩いていた。全然違う感じ方をしたところもあった。私もいろいろ思うところがあったけど、感想を押し付けないようにということだけ気をつけた。点字ブロックや、視覚障碍のある人用の信号や、券売機の点字を見つけながら歩いた。

    息子が、耳の聞こえない友だちと話す時にしていることを教えてくれた。口を大きく開けてしゃべる。ちょっとやりかたを変えるだけで、相手に伝わりやすくなる。伝えることをあきらめる必要はない。自分が気付いていないだけで、ほかの人は私に対して伝わりやすい工夫をしてくれているかもしれない。いろいろお互いさまなんだと思う。

    お互いさまなんだと思わないと生きづらいので、せめて自分のできる他人に伝わりやすくするための工夫はしたい。それをしていれば、自分を許せる幅も広がるから。だから誰かのためにやってるわけじゃなくて、結局自分のためなんだと思う。
    posted by リョーコ at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | お出かけ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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