我が家は小6と小1がいて、子どもたちが同時期に学校へ通うのはこの1年だけだったから、残念だったといえば残念。でも、この休校と変わった日常期間は、我が家の子どもたちにとってすごく大事だったんじゃないかなと思う。
■好きなことをやる時間がたっぷりあった
長男は折り紙がすごく好きで、毎日朝5時に起きて折っていたんだけど、学校がある時は7時にはやめなきゃいけなかった。「一日中折っていたい」といつも恨めしそうに言いながら登校していた。
でも、休校が始まってやりたいだけ折り紙ができるようになって、その作品はわかりやすくレベルアップしていった。長男はその作品をInstagramに上げ、 YouTubeも開設して、近所のお店で展示もしてもらい、友達からもどんどんオーダーが入って、忙しそうだけど楽しそう。
神谷哲史作品集 (おりがみはうすの本) - 神谷 哲史, 山口 真, 立石 浩一
↑こういうのをよく折ってる。
■いい感じのコミュニティができてた
休校&課外活動も丸ごとなくなったこの春、近所の広い公園には子どもたちが集まっていた。普段は部活や塾通いが忙しくて来られない子や、受験が終わった中高生も。世代も、普段所属してるグループも違う子たちが集まって、毎日本気で体を動かしていた。
いつもならいない近隣の他校の子たちも来て縄張り争い的なことが起こっていたり、運動能力に差があっても楽しく遊ぶためのルールをみんなで考えたりしていた。この少子化の時代になかなか見られない光景だったと思う。
新1年生の次男は、年上の子と遊ぶのが楽しくてたまらないようで、保育園ロスに陥ることも休校への戸惑いもなく、ひたすら毎日を楽しみにしていた。小6の長男は、中高生への憧れを語るようになった。運動も勉強もできる少し年上の子たちの姿は大いに刺激になったようだった。
■学校が必ずしもあるものではないと知った
学校が休校になると、最初の数日は嬉しそうだった長男。でも、数日で飽きていた。勉強は一人でもできるけど、学校で先生や友達と会うのはそれ以上の意味があったんだと感じたらしい。なくなって初めて、その大切さを知る。行けるようになってからは、毎日をとても大切にしているようだ。やること全てに「最後の」がつく6年生。
将来学校へ行くのがしんどくなる時があったとしても、この時のことを思い出して「行かなければ行かないでもなんとかなる」と考えるかもな。それはそれでよかった。
当たり前なことなんてないのかも、と子どもにも考えさせてくれた点で、貴重な期間だったと思う。
仕事のことは考えず、毎日子どもと向き合ってさえいればよくて、私にとっても幸せな時間だった。夏休みは何しようかなあ。
もうすぐ1歳の三男。『ボス・ベイビー』の冒頭を兄たちに見せられ、「こんな感じだった?」と聞かれている。
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